
野球王国・愛媛を代表する今治の雄、その過去と未来に迫る
お祭りや海開き、花火に肝試し。
さまざまな季節の風物詩がある夏ですが、夢の舞台・甲子園を目指して熱戦を繰り広げる高校野球全国大会もまた、日本の夏を象徴するイベントのひとつですね。

愛媛の野球強豪校といえば、皆さんはどこを思い浮かべるでしょう?
ダントツの甲子園出場回数を誇る松山商業高校、春の甲子園で優勝経験もある南予の強豪・宇和島東高校。
お笑い芸人・ティモンディの影響で、済美高校の印象が強い人もいるのではないでしょうか。

そんな数々の高校と肩を並べる東予の強豪校のひとつが、今治西高校です。
直近で最後の出場は2015年ですが、これまで夏の甲子園には通算で13回出場。
この成績は、県内でも出場回数トップの松山商業高校に次ぐ数字となっています。

そんな今治西高校の野球部は、今年でなんと創部120周年!
このアニバーサリーイヤーに際して、部の長い歴史やこれまでの歩みをまとめた記念誌も発行されるとのこと。

1世紀をゆうに超える、県下でも指折りの伝統をこれまで紡いできた今西野球部。
今夏の甲子園行きを賭けた県予選も迫る中、今回はそんな彼らのこれまでとこれからの物語をご紹介したいと思います。
文武両道の公立高校野球部、全国屈指の“無冠の強豪”

元々私立高校に比べ、設備や指導体制強化に使える予算が限られている公立高校。
そのため高校野球を始めとした部活動に関しては、全国的にどうしても私立高校の方が結果を残しやすい傾向にあります。

ですが先述のラインナップの通り、愛媛県は全国でも珍しく公立高校の野球強豪校が多い県です。
今治西高校もまた、公立高校の中でも全国レベルの実力を持つ野球部として有名。
そのため毎年一定数、県内外から同校への入学を志願する生徒が集まってきます。

同時に県内、特に東予の人であれば、今治西高校に通う生徒の優秀さも良く知ることでしょう。
高校合格のために必要な偏差値も、県内の公立高校としてはトップレベルです。
野球だけでなく勉学でも優秀な成績を収め、校章にも描かれている”蛍雪”の精神を伝統とした文武両道の実現。
それもまた、今西野球部が憧れを集める理由のひとつなのです。

長年西武ライオンズで活躍し、現在は一軍コーチを務める熊代聖人や、“伊予の怪腕”として知られ、現役時代は東京ヤクルトスワローズを中心に各球団で活躍した藤井秀悟など。
複数のプロ野球選手も過去に輩出し、現在はこれまで春夏で計27回もの甲子園出場を果たしている今西野球部。

そんな輝かしい成績を持ちながらも、意外なことにこれまで今西野球部は甲子園で、実は一度も決勝戦の大舞台へ進んだことがありません。
春夏合わせて準決勝で敗れること5回、「ベスト4」の壁に阻まれる”無冠の強豪”。
甲子園決勝進出経験がない高校の中で、甲子園での通算勝利数がもっとも多いのが今治西高校なのです。
120年の歴史最大のハイライト!1977年の甲子園準々決勝をプレイバック

そんな今西野球部も、もちろんこれまでに山あり谷ありの変遷を辿っています。
120年の歴史の中で、いわば黄金期とも呼べる時代。
それが、甲子園で数多くの名勝負を繰り広げた1970年代~80年代前半の時期にあたります。

1971年に久々の夏の甲子園出場を果たすと、1983年までの間に春3回、夏5回甲子園に出場し、その間の勝ち星は合計14勝。
甲子園でも強豪のイメージが定着します。
中でも往年のファンの間でもっとも話題に上がるのは昭和52年、1977年夏の甲子園。
そこで繰り広げられた準決勝での大激闘でしょう。

この時の立役者としてよく名前が挙がるのが、ピッチャー・三谷志郎さんとキャプテン・阿部信行さんです。
お二人はこの年、高校3年生で投打の柱としてチームを牽引していました。

三谷さんは身長185センチの長身投手として、当時高校野球界でNo.1の投手とも言われた存在。
阿部さんもまた甲子園で2試合連続ホームランを放つ左のスラッガーで、卒業後は社会人野球のプリンスホテルで創設メンバーとして活躍。
現在はお二人とも、県内の高校野球解説者を長年務められています。

甲子園でも好成績が続いていたこの時期、「そろそろ悲願の優勝を」との今治市民や大勢のファンの期待を一身に背負い日本一に挑んだ今西野球部は、優勝候補の奈良・智弁学園高校や東京・早稲田実業高校を三回戦、準々決勝で次々と下します。
迎えた準決勝の相手は、東洋大姫路高校。
結果的にこの夏の甲子園を制した優勝校でした。

事実上の決勝戦とも言われたこの一戦はゲーム序盤からお互い一歩も引かず、0対0のまま、延長戦にもつれ込む壮絶な試合となります。
10回表に相手のスクイズで悔しい一失点を喫し、そのまま逃げ切られてゲームセット。
史上初となる決勝戦への切符を、そして夢の全国制覇をあと一歩で逃した惜敗でした。

もちろんその後も、今西野球部の歴史は続いていきます。
低迷期と好調期を繰り返しながら、特に2005年以降、2015年まではコンスタントに春夏ともに甲子園への切符を手にし続けてきました。

近年は愛媛でも私立校の活躍が目立ち始めており、それもまた公立校の今治西高校が苦戦を強いられている理由のひとつ。
その中でも令和初の甲子園への切符を掴むべく、現役球児たちは今もまさに奮闘中です。

今年2025年、春の愛媛県大会でも決勝戦に進出した今西野球部。
結果として昨年秋の優勝校・新田高校に敗れましたが、創部120周年を迎えた今、強豪復活の足音は着々と聞こえ始めています。
黄金期を牽引した名バッテリー・三谷&阿部の貴重なインタビューも

今年刊行が予定されている創部120周年誌。
その中の一大特集として今回1977年の立役者であり、今西野球部のレジェンドコンビ・三谷さん&阿部さんの対談も掲載されます。
先日行われたお二人のインタビューの様子も、ここから少しだけご紹介しましょう。

今西野球部の黄金期を支えたお二人ですが、当時「甲子園を目指すために今治西を選んだ」「松山商業を越えて甲子園に行く」という、強い気持ちを持って日々練習に励んでいたそう。

今に比べれば、まだまだ非効率で無茶な練習も多かった時代。
お二人とも「練習は辛かったし、今思えばそれらに本当に意味があったかはわからない」と笑いながら当時の厳しさを語った上で、「それでも両親や家族、そして地域の人々の支えがあって練習できていた」と話します。

高校2年生の夏と3年生の夏の2度、甲子園を経験したお二人。
「日本一を期待された学年だと自分たちもわかっていた。良くも悪くも『優勝できるチーム』という言葉をがむしゃらに信じていた」と、当時を振り返りつつ阿部さんはそう語ります。

一方で「今思えば『自分たちで考える』姿勢が足りなかった。勝ちに貪欲になりきれなかった」と三谷さん。
「数々の強豪相手に『負けてもともと』と思って当たっていた。でも勝ち続けたことで、東洋大姫路戦には『勝てるかも』という慢心が芽生えてしまった。反対に相手は今西に『負けてもいい』という気概で向かってきた。それが勝敗の差だったのかもしれません」。

また今西120年の歴史における最大のハイライトだった甲子園を、当事者だった二人はそれぞれにこう振り返ります。
「2年夏の初めての甲子園はあっという間でほとんど何も覚えていない。だから3年生の甲子園は覚えていたかった。せっかく出られた甲子園、思い出を持って帰ることも大事ですから」と阿部さん。

「打席では丁寧なルーティンを心がけ、守備でも五感を研ぎ澄ませるように努めた。そうすることで落ち着いてプレーできた。だから当時の事もよく覚えてます」という言葉通り、聖地に立ったからこその話を、阿部さんはたくさん教えてくれました。
その中にはあの激闘からまもなく半世紀を迎える今、初めて明らかになる裏話も。

「当時は控え投手の準備もほぼなく、ピッチャー・三谷へ負荷がかかりすぎていた」と阿部さんは話します。
そんな中、準々決勝の早稲田実業戦で、実は三谷さんが膝を負傷していたそうです。

「知っているのはキャプテンの自分だけ。チームの士気が下がるから誰にも言えなかった。ただもし共有していれば、仲間の力を借りて他のプレーができたかもしれない。チリツモの向こうのセーフを、アウトにできたかもしれない」と驚きの事実を教えてくれます。

一方、アクシデントに見舞われた三谷さんは「試合が始まると痛みは感じなかった」と、優勝候補を相手に9回無失点の見事な好投を見せます。
ケガを負いながら孤軍奮闘するエースを援護できなかったことに、阿部さんは思う所も多かったのでしょう。
「チームが苦手にしていた左投手を打つ練習をもっとしていれば」と、懐かしくも悔しそうに当時を振り返っていました。

そんな自身の経験をふまえ、現在の高校野球界について、そして今西野球部についても、お二人ともそれぞれに思う所がある様子。
「練習は量より質と言うものの、やはり量が大事な時もある」と話すのは三谷さんです。

「甲子園にリラックスして臨む学校も増えてきたのはいいこと」と前置きした上で、「選手としてのピークをどこに置くかも悩ましい問題。将来プロを見据える人も多いが、自分は高校で燃え尽きるのも一つの道だと思う。そこから見えてくる物もある」とも語ります。

一方で阿部さんは「『野球を通じて人間形成』は昔から変わらない。でも監督が選手を引っ張る形から、監督が選手をサポートする形が増えてきた。高校によっても『指導法』は違う。多彩な形になってきた」と、解説者の目線も交えながら現在の高校野球界を紐解いてくれました。

現在の今西野球部に対しては、それぞれ「現役の子は甲子園だけに固執しすぎず、野球を楽しんで好きになって欲しい(三谷)」「『今西
ならこんな野球が、こんな練習ができる』という旗印が欲しい。その点でも指導者・選手ともに人集めが大事(阿部)」とメッセージ。

重ねて近年やや低迷の続く愛媛の高校野球界に望むものとしては、「具体的な憧れを球児に持ってもらうためのハイレベルな選手と接点を持つ機会の創出(阿部)」「根拠を持った指導を行うためにコーチングのレベルアップ(三谷)」をそれぞれ挙げ、今回の対談を締め括る形となりました。

お二人を筆頭とした大勢の偉大な卒業生が積み上げてきた実績や、血の滲むような日々の努力。
その上に、今治西高校野球部の創部120年という強固で伝統ある歴史は成り立っています。

過去の輝かしい記録や熱戦、そして後悔と挫折。
それらをすべて糧にしながら今なお屈指の野球強豪校として、今西野球部はその名を県内外に轟かせています。
これから刻まれるであろう新たな歴史、そして新時代の球児たちが見せてくれる前人未到の景色にも、引き続き大きな期待を寄せたいですね。
■今治西高等学校
住所:今治市中日吉町3丁目5-47
TEL:0898-32-5030
■今中・今西野球部OB会(事務局)
住所:今治市富田新港1-2-6 今治ヤンマー(株)内
TEL:0898-47-4105