
地方都市の便利さを手放して、山あいの町へ
都市部での暮らしは、不便を感じることがほとんどありません。
必要なものは、だいたい近くで揃います。
今回お話を伺った井谷明子さんも、そんな環境で生活してきました。
けれど、便利さに囲まれた生活のなかで、なんとなく違和感を感じていたといいます。

現在、鬼北町日吉地区に移り住み、地域おこし協力隊として活動している井谷さん。
旧日吉村の初代村長を務めた井谷正命氏の玄孫(やしゃご)にあたります。
井谷さんにとって日吉は、かつてお盆と正月にだけ訪れていた場所。
最初から「住む場所」として考えていた土地ではありませんでした。
薪で風呂を沸かす。その時間が教えてくれたこと
井谷家住宅を鬼北町に寄贈することになり、母屋の片付けをしていたときのことです。
当時、井谷さんは高松に住んでいましたが、作業を手伝うため日吉に来ていました。
そのとき、お父さまが風呂を沸かしてくれたといいます。
循環式の薪焚き風呂で、壁の向こう側にある炉に薪をくべて、少しずつお湯を温めていく仕組みです。
薪を取りに行くところから始まり、火を入れてもすぐには沸きません。
コンクリートでつくられた浴槽にお湯がたまるまで、なんと3時間もかかったそう!
スイッチひとつでお湯が出ることが当たり前だった井谷さんにとって、その時間と手間は大きな驚きでした。

12月の寒い日、ようやく湯船に浸かると、体が一気に温まりました。
それと同時に、心までほぐれていくような感覚があったといいます。
薪を用意し、火を起こし、時間をかけてお湯を沸かす。
勝手にお風呂がたまるのではなく、自分たちの手で温める。
その一連の流れが、強く心に残りました。

「こういう暮らしをしていたら、都会で一生懸命稼がなくても、たとえ収入が減ったとしても、豊かに暮らせるんじゃないかと思ったんです」井谷さんは振り返ります。
薪焚き風呂の体験が日吉での暮らしに惹かれていく、きっかけのひとつになりました。
なるべく文明を使わない?7年間続けた暮らしの工夫
日吉に通うようになってからの約7年間、井谷さんは「なるべく文明を使わずにやってみよう」と決めて生活してきました。

松山に住んでいた頃は、洗濯機は使わずに手洗いを続けていました。
草刈りは機械を使わず、大鎌でざくざくと手作業。
木もチェーンソーではなく、のこぎりで切ります。
家族が置いてくれていた草刈り機や除草剤も、あえて使わずに処分したそうです。
畑では、小松菜など育てやすい野菜を中心に栽培。
人参や大根、ごぼう、果樹にも挑戦しましたが、霜の影響でうまくいかないことも多かったそうです。

うまくいかないことも含めて「やってみる」時間。
体はあちこち痛くなりましたが、不思議と気持ちは折れなかったといいます。
行くなら今だ!通い続けた先にあった決断
地域おこし協力隊として移住を決めた背景には、ふたつの理由がありました。
ひとつは、体力のことです。
日吉での暮らしは、想像以上に体を使います。
月に数回通う生活なら続けられても、これが毎日になると話は別です。

「退職してからでは、きっと無理だと思いました。」
年を重ねるにつれて、楽な方へ流れてしまい、動けなくなってしまう前に。
体が動くうちに挑戦するなら、今だと感じたそうです。
もうひとつは、町の変化への危機感でした。
日吉へ通うたびに、空き家が増え、趣のあった建物が取り壊され、更地になっていく。

そんな様子を目にして「あと10年も経ったら、もう間に合わないかもしれない…」と感じることが多くなっていきました。
なるべく文明に頼らない生活を試してきた時間と、目の前で進んでいく日吉の変化。
両方が重なり、井谷さんのなかで「行くなら今しかない!」という気持ちが湧きあがりました。
この決断を経て、井谷さんは日吉への移住を本格的に開始します。
実際に動き出したことで「自分の生き方にも、少しずつ誇りを持てるようになった」と語ってくれました。
星が近く、人も近い。日吉で感じた心地よさ
実際に日吉で暮らし始めて、井谷さんがまず感じたのは、体の感覚の変化でした。
松山へ行くこともありますが、日吉に戻ってくると「やっぱり違うな」と感じるそう。
日吉にいるほうが自分の体に合っている。
体が常に心地いい状態でいられる感覚があるといいます。

夜になると、山あいの静けさのなかに、満点の星が浮かび上がります。
街灯の少ない日吉では、空を見上げると天の川が見える日もあるそうです。
日常の風景として星があり、その距離の近さに毎回はっとすることも。
もうひとつ、日吉での毎日を支えているのが、人との距離の近さです。
集落の人たちは、ほとんどが顔見知り。
作業をしていると声をかけてもらったり、野菜を分けてもらったりすることもあります。

「大家族みたいな感じなんですよ。」
全員が知り合いで、自然とやりとりが生まれる関係性です。
都会で生きてきた人にとっては、少し近すぎると感じる距離かもしれません。
けれど井谷さんにとっては、それがうれしく、心地よいものでした。
日吉での暮らしは、想像以上にちょうどいい!
山あいの町に住むのは、不便そうだと思われがちです。
けれど、井谷さん自身は、日吉での生活を不便だと感じたことはほとんどないのだそう。

実際に住んでみると、生活に必要なものは意外と近くで揃います。
少し車を走らせれば買い物ができ、用事もまとめて済ませやすい環境です。
都会のように道が混み合うこともなく、移動にかかる時間が読みやすいのも助かっている点だそう。
松山に住んでいた頃は、ホームセンターに行くのに40分以上かかることもありましたが、日吉ではそうした移動のストレスを感じることが少なくなりました。
また、松山や高知方面へのアクセスも悪くありません。
高速道路を使えば、必要なときには都市部へ出ることもできます。
ネット通販を利用すれば、注文したものが翌日に届くこともあるそうです。

自然すぐそばにありながら、生活はきちんと回る。
井谷さんにとって日吉は「何かを我慢する場所」ではなく、自分たちの暮らしにちょうど合った町でした。
井谷家住宅をふらりと集まれて、にぎわいを生む場所に

井谷さんが日吉に通うようになった大きなきっかけのひとつが、文化財として登録されている「井谷家住宅」の存在。
高祖父が建てた井谷家住宅は、残すことだけが目的ではありません。
これからどう活用し、どう関わっていくかを検討しているところです。

井谷さんが目指しているのは、地元の人が何度も足を運びたくなる場所。
いわゆる観光施設のような、たくさんの人を呼び込む拠点にしたいわけではありません。
地域の人がふらりと立ち寄って、お茶を飲みながら話ができる。
そんな憩いの場所を構想しています。
また、木の温もりに触れながら遊べる「木育の場」としての活用も思い描いています。
子どもたちが工作を楽しみ、素材に親しむ時間が、日常の延長として自然に生まれる空間。

「あるもので何とかしようとするのが楽しいんです」と話す井谷さん。
竹を使ったクリスマスツリーづくりも、その延長で生まれた取り組みです。
「町の人が楽しそうに集まっていれば、観光客の方も自然と惹きつけられて、心地よい交流が生まれると思うんです」と、穏やかに語ってくれました。

都会の便利さよりも、心が満たされるほうへ
日吉での暮らしは、効率を最優先するものではありません。
手間も時間もかかり、体力も必要。
それでも井谷さんは、日吉での生活を選びました。
便利さを手放した先にあったのは、体が自然に整っていく感覚や、顔見知りの人たちと支え合う日常。
日吉で過ごす日々のなかで、今まで気づけなかった豊かさを実感しています。

「ここで楽しそうに暮らしている私の姿が、誰かの選択肢になればいい」
そんな想いが、井谷家住宅の活用や地域との関わりへとつながっています。
■『鬼北町地域おこし協力隊』
【お問合せ先】鬼北町役場企画振興課
【住所】愛媛県北宇和郡鬼北町大字近永800番地1
【電話番号】0895-45-1111